Why Tadoku?-1-好きなことを追求できるから
Why Tadoku? ①
英語の壁を軽く乗り越えて好きなことを追求できる
多聴多読を続けていけばなんでも読めるようになるのだから、自分の好きなことを英語でも追求できるようになるだろうと思い、多聴多読の指導を始めました。
数年後、小学生の生徒は、中学生・高校生へと成長し、予想以上に高いレベルの英語コミュニケーション力を身につけていました。
多読でのインプット量が多いほど、自身の想いや考えを(日本語を介さずに)ダイレクトに英語で「書ける」「話せる」ようになっていました。
嬉しい誤算は、私の気づかないうちに、英語力を生かして、海外の人と交流を深める生徒が出てきたことです。
たとえば、
- オンラインゲームをしながら、英語で話したり、書いたりして、海外のゲーマーと交流を愉しむ
- Instagram に趣味の写真をアップし、それを見た外国人からの反応に、英語で応答し交流を愉しむ
- 学校の海外研修先で交流した韓国人、台湾人、香港の中国人と親しくなり、SNSを通じてその後も交流を継続し友情を深める
- 留学先のホストファミリーが決まってから、英語でメールのやりとりを頻繁にし、交流を愉しむ
ある日、生徒がこんなことを言っていました。
「多読していて良かったことは、向こうの世界を知れたこと。」
また、こんなことも。
「多読は、難しい本や厚い本を読めるかどうかじゃない。
見たことのない世界があり、その世界に入っていけるのが多読だ。」
多読の真理です。
多読とは難しい本を読めるようになることだ、と考える人が多い中で、この真理に気づいている先生や生徒はそう多くありません。
子どもたちには、ぜひ、向こうの世界(英語でしか見ることができない世界)を見るまで、多読を続けてほしいです。
そして、場に応じて適宜、言語を使い分けて、自身の生きる世界を拡げていってほしい、より豊かな人生を送ってほしい、そう願っています。